合同結婚式への招待状 TOPページへ        HOME  |  結婚ゼミ    

合同結婚式って何?


初めて聞く方は「合同結婚式って何?」と思われるでしょうね。または、テレビで何度も放映されていましたから、それを見ていた方は「ああ、桜田淳子さんの参加したやつね」と思われるでしょうか・・・?

合同結婚式と一言でいっても簡単ではなく、正直受けた私もどう説明していいのか考えてしまいます。実はこの原稿を書くために、家事もうわのそらのまま何日も過ぎています。結局ここでは私自身の体験をすこし書いてみました。あしからず・・・。


結婚なんて頭の中になかった時代

今から10数年ほど前、美大を卒業してアパレルメーカーで働き始めた頃、どっちかというと結婚よりも仕事と考えていました。そのころはバブル崩壊の前で、自分のやりたい仕事がある程度できていました。漠然と将来は自分で事務所を構えて独立したいぐらいに甘〜く考えていました。
仕事も3年もたつと結構責任を持たされやりがいもそれなりにあったりして、残業さえも苦痛に感じなかったほどでした。


こんな仕事をしていました・・・


そんなわけで、結婚については二の次というか、おそらく自分は晩婚型だろうと考えていました。そんなに焦っていたわけでもありませんでした。
そのうえ、自分のいた会社では男性上司と女性社員の不倫って結構ありました。(ゲゲッという感じ)
そんなうわさ話に事欠かない状況でしたから、結婚に対する夢もへったくれもないって感じで。そんなことを私の主人に話すと「きっと、その業界の傾向じゃない」ってあっさり言いますが?!


統一教会へ

職場へバイトにきていた女性の中に、ひとりちょっと変わった女性がいました。何が変わっているかというと、話す内容が世界情勢のことだったりこれから先の事だったりするんですね。年齢は私とあんまり変わらないのに不思議な人だなと思っていました。
ある時仕事の帰りに私からその彼女に声をかけてみました。「何かやってるの?」と。
まあ、この一言が命取りだったんですね。まさか悪評高い統一教会に行くとは思ってもいませんでした。

統一教会といってもそのころはあまり有名ではなかったと思います。有名になったのは桜田淳子さんや山崎浩子さんが合同結婚式に参加した1992年の夏からだったと思います。(私もこの時に参加しました)

悪いうわさは聞いてはいましたが、誘ってくれた彼女を見ても悪い人ではなかったし、しばらく教会に通うことになりました。仕事の帰りみちに寄ったこともあります。勤め先は千代田区。教会は足立区。そして自宅は練馬区。とまあ、よくぞ東京中心部をぐるりと回っていたなあという感じです。

やっぱり教会ですから、宗教的な教理を勉強しました。このホームページにも「原理講論」を載せてありますが、それです。いきなり理解するには難しい内容ですから、教会の人が要点だけを教えてくれていました。
自分が最初に感動したのは「人間はすべて神様の子供なんだ」というところでした。よく表現できませんが、これを聞いてかなり納得してしまったようです。元々単純な性格のためか、それまでその種の感動という精神的状況があまり無かったせいか、とても楽しく教会に通うこととなって行きました。


私の赤い糸は・・・

さらに勉強していけば自然と突き当たる結論があります。結局のところ愛の問題にすべてが帰結し、その岐路が結婚という大きなテーマにあると知りました。神様が本当にいて、親であるのなら、自分で結婚相手を選んで失敗するより、神様に任せた方が確実ではないかと。神様の方が私に一番ふさわしい方を知っているのではないかと。
結局、私はひとつの結論を選択することに決めました。

そうなると、私はかなり気が楽になっていました。心配事が無くなったってとこです。教会に通い初めてから2年ぐらいすると、もうじき合同結婚式があるという話を聞くようになりました。一度決めてしまうと行動するのは早い方な私は、早速参加準備をして申し込みました。

私の両親は当時としては教会のことは比較的よく知ってる方でしたから、私が合同結婚式に参加すると話すとやっぱり驚きました。最終的には「おまえが決めたことなら後悔するなよ」と言ってくれました。
でも、うちの親は理解力があるなぁなんて感心していられたのは束の間でした。1992年の6月か7月くらいになるとマスコミが大騒ぎを始めたのです。有名人が参加するということで、スポーツ新聞、ワイドショーは合同結婚式のことで持ちきりになったのです。

そうなると今まで静かだったうちの親も、心配になってあれこれ言ってくるようになりました。そのたびごとに説明して、本当に大変でした。
そんな最中、7月の末になると、自分が提出していたお見合い用の写真を受け取ったという男性から電話がかかってきました。私はびっくりしました。


ここで結婚相手が決まるプロセスを簡単に説明しておきますと次の通りです。

1.合同結婚式の行われる1年ぐらい前から申し込み受付が始まる。(ここで審査があって、結婚生活に支障のでるような病気などを持つ場合など、受けられないこともある)
2.申し込み時にB5版くらいのお見合い写真を提出する。
3.定期的に文鮮明先生が候補者のマッチング(カップルを組む)をする
4.各教会に決定者の写真が送られてくる。
5.各教会で自分の相手の写真を受け取る。
6.合同結婚式の始まるまでに連絡を取り合って意思を確認する。
7.合同結婚式の会場へ出発。

以上の流れです。
(注、このプロセスは2000年2月に行われた合同結婚式の時から若干変更になっています。T-mama)

そして私の場合、私の所属していた教会よりも、主人の教会の方が早く連絡を受け、写真を渡されていたもので、寝耳に水というか、心の準備もなしに私の永遠の伴侶から電話がかかってきたのでした。


この人は私の性格の正反対?

彼から電話を受けた2日後には私も教会で写真を受け取りました。写真の裏にはデータが書いてありました。
年齢・身長・学歴等々。写真を見る限りではまじめそうな男性。神様が選んで下さった方がこの方か・・・。はっきり言って、実感ってあまりわきませんでした。

韓国で行われる合同結婚式まで約1か月間ありました。その間手紙や電話で何度かやりとりはしましたが、お互いにスケジュールが会わなくて直接は会えませんでした。この間に理解し合えたことは多かったと当時思っていましたが、実はそうではなかったと今になってわかります。

ちなみに、男性と女性が結婚して本当に相手を理解するまで3年ぐらいはかかるんじゃないでしょうか?理解というのは夫婦の仲が良くなるとか何とかではなく、自分と相手との違いを冷静に把握できるということです。
例えば、良いのか悪いのかは別にして、夫は私に対して「女性は感情で生きる生き物」なんて言います。「おしゃべりって理解できないね。」とも言います。然り・・・。逆に夫は理性的な面が強く、ほとんどいつも冷静沈着ってタイプ。たまには私と一緒に音楽や絵画などを楽しんでくれないかなぁなんて思ったりもしますが・・・。
こういった違いは合同結婚式に参加した後から徐々にわかり始めたことでした。

ただこのころの私は「神様が私に一番ふさわしい方を知っている」という信仰と、実際に自分の伴侶が現れたという事実によって、そんな冷静にはいられなかったのでした。


合同結婚式

1992年8月25日に3万組の国際合同結婚式が行われました。当日韓国ソウルは晴れ渡り、会場となったオリンピック競技場は本当に暑く、日焼けする程だったのです。前後して、世界宗教会議や体育大典などが行われ、グローバルな雰囲気の中で文先生との初めての出会い、そして永遠の伴侶との初めての出会いを果たし、はっきり言って気分は最高潮、夢うつつの中でこの期間を過ごしました。



会場には私のように日本人同士になった人もいれば、国際カップルになった人もいました。日本人と韓国人が半分ぐらい占めていたと思います。あとは、様々な人種の人がいました。
広い会場でしたが、同じ地域の教会の人がいると懐かしがって声を掛け合いました。ただ、どちらも自分の隣に相手がいますから照れくさそうに紹介し合いました。

しかしながら、同じ信仰と価値観を持っているというのは本当にすばらしいことだなと感じた合同結婚式でした。
神様を信じる=伴侶は永遠の存在。自分はこの人とずっと一緒に生きてゆくのか・・・。

韓国には4泊ほどして日本へ帰国しました。


あれから・・・

韓国であった式典から1年半後に実際に家庭生活を出発し、現在子供が3人おります。夫は「いつの間に5人になったんだ? 最初は2人だけだったのに・・・」なんて言いますが、本当にそう感じます。独身時代には想像もできなかった、別世界ですね。

以上が私自身の体験です。うまく説明できないところもたくさんありますが、少しは理解するのに役立ったでしょうか?