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信仰生活講座


【7】霊界の統一原理セミナーの感想文3

霊界からのメッセージを毎日拝読していますが、1冊目が終わりました。最後の方に儒教徒の感想文がありましたのでそれを紹介しましょう。

孔子様の代表の13弟子の感想文ですが、どの方々もクリスチャンには無い世界があります。それは忠孝心と表現できるでしょう。かつてお父様が日本の食口に「日本の情 忠孝の源」と揮毫して下さったことがあります。そういった感じです。

あまり原理のみ言はわからないようです。でも忠孝心が強く、孔子様が行かれるならば命を懸けて私も行きますと誓いを立てているのです。

私も統一教会に来る前に論語が好きで良く読んでいました。今でも家の奥に残っています。論語の中に「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可成り」という言葉があります。この言葉が教会に来る指針となっていたと思います。
意味としては、「朝に真理を知ることができれば、夕方になって死んでしまったとしても良いではないか」、つまり真理のために命を懸けて生きて行きたいという心情を吐露しているです。


儒教徒が統一教会を受け入れる素養があるのは、自分たちの教えが絶対真理だと思っているのではないからです。真理を求めて生きて行こうという姿勢なのです。それに対してクリスチャンは聖書が絶対真理だと確信しているので、聖書の解釈が違うと強烈な戦いになってしまうのです。

本来はキリスト教が統一教会を受け入れるべきでしたが、その他のものたちが先に伝道されて恩恵を受けています。かえって、神様とイエス様が血と汗と涙を流して準備したクリスチャン達がお父様を迫害しています。

神様の無念さ、イエス様の無念さを誰が解いてゆくのでしょうか・・・。



 五 冉有(ぜんゆう)
師の道に従わない弟子がいるでしょうか

 孔子様は、私たちにとてつもない新しい真理があるとは教えられず、私たちをとても気になって仕方がないようにさせて誘惑をされました。ある日、孔子様は私たちを呼ばれ、「私、孔子が皆さんに伝える喜ばしい知らせがある」と言われてから「私を見なさい。顔がどうですか、とても美男子になったではありませんか」と言われました。またある日には、「皆さんは、もし『孔子が新しく婿に行く』と言えば・・・。どのように思いますか」と言われ、ある日には「孔子が皆さんを捨てていくかもしれない。もしそのようになれば皆さんはどうしますか」と言われながら、全く孔子様のようではない新たな言行をあちらこちらで見せられました。冉有は心にとどめておくことができない性格なので、「お師匠様! 前置きがあまりに多すぎます。本論は何ですか」とお伺いしたところ、孔子様は「一口で言って、君たちは『孔子は気が狂った』と言うだろうよ」と言われたのち、「時になれば分かるだろう」とおっしゃいました。

 ところで、今、その時が来たようです。孔子様が私たちに言われるには、「孔子が誤っていたのか、皆さんが誤ったことなのか判断しなければならない時が来たのでついてきなさい」ということでした。そして、「私、孔子に背いてもよいので、思ったとおりにしなさい。そして、聴いてから判断しなさい」と大変深刻に仰せられました。

冉有は思いました。私たちは、師の道と性稟を尊敬していました。何かがある、何か大変な事件があるということを感じました。その事件がいかなるものなので、私たちの師があれほどまでに深刻なのでしょうか。冉有は覚悟しました。いかなる道であろうとも、師と道を共にするだろうと思いました。

 果たして、「統一原理」という新しい真理が冉有の心を揺り動かし、狂わせました。やはり、私たちの師は賢明で賢いお方です。継続してなされる原理講義は講義ではありません。人間の心をとらえて放さない大変な力をもって引っ張っていきます。いったい何なのか。神様の啓示によって文鮮明先生が明らかにされた新しい真理であり、人間の救援書だということです。

 文鮮明先生とはどういうお方かといえば、イエス様の使命を代わりに引き継がれた再臨のメシヤであり、人間を救援されるための救世主であり、真の父母だということです。実に聞き慣れない用語に難しいばかりです。ところで、講義をすべて聴いた冉有は、自分がどこに行って来たのか分からないほどであり、一口で伝えることができません。ちょうど、電気に感電してぱっと目が覚めたような気分です。しかし、明らかに私に残った事実があります。偉大な真理をもってこられた師がいます。その道を行こう、行かなければならないという信念だけが残っています。

 孔子様、ありがとうございます。そして、再び勉強して、再び精神を整えて新しい真理の前に従順になっていきます。

(二〇〇一年十月十三日)